2年(ねん)生(せい)まちたんけん井村(いむら)方面(ほうめん)

3限(げん)、4 限(げん)と2年(ねん)生(せい)の生活科(せいかつか)で井村(いむら)方面(ほうめん)へまちたんけんに行(い)きました。暑(あつ)い中(なか)でしたが、家(いえ)が近(ちか)い子(こ)はわくわくしながら歩(ある)いていきました。井(い)福寺(ふくじ)へ着(つ)き、本堂(ほんどう)に上(あ)がらせていただき、高(たか)松(まつ)ご住(じゅう)職(しょく)様(さま)に昔(むかし)、昔(むかし)の井村町(いむらちょう)の話(はなし)やなぜ「井村(いむら)」という名前(なまえ)になったのかなど話(はなし)をしてもらった後(あと)、戦争(せんそう)についても話(はなし)をしていただきました。 高松(たかまつ)さんは、太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)が始(はじ)まった1941年(ねん )( 昭(しょう)和(わ)16年(ねん))に当(とう)時(じ)小(しょう)学(がっ)校(こう)1年(ねん)生(せい)だったそうです。1945年(ねん)( 昭(しょう)和(わ)20年(ねん))、4年(ねん)生(せい)だった頃(ころ)は、たくさん井村(いむら)からもお父(とう)さんやおじさんが戦争(せんそう)に行(い)かなければならないことから、自分(じぶん)も行(い)くのはいやだなと思(おも)っていたが、8月(がつ)15日(にち)に戦争(せんそう)が終(お)わり、これで人(ひと)が死(し)なずにすむ、人(ひと)を殺(ころ)しに行(い)かずにすむ、良(よ)かったと思(おも)ったそうです。 人(ひと)の命(いのち)をうばってしまう戦争(せんそう)は、絶対(ぜったい)にしてはいけない。日本(にほん)国(こく)憲法(けんぽう)第9条(だい9じょう)「戦争(せんそう」放棄《ほうき)」を守(まも)って、75年(ねん)も平和(へいわ)を続(つづ)けてきた。「これからは、みんなも戦争(せんそう)は絶対(ぜったい)にしてはいけないと言(い)い続(つづ)けていきましょう。」とお話(はなし)をしていただきました。

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